社交ダンス

日本の社交ダンスの歴史

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(引用:wikipedia 鹿鳴館 より)

様々なダンスを取り入れ発展して行った社交ダンスは、やがて文明開化の日本にももたらされます。
「鹿鳴館」と言う名前は、学校の授業で習った記憶があると思います。
日本の社交ダンスの最初は、政府の外交上必要なものとして導入されたのです。

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(引用:wikipedia 鹿鳴館 より)

その後、一般に社交ダンスが踊られるようになったのは、戦後になります。
進駐軍のためのダンスホールが多数開かれ、また男女の出会いの場としてダンスパーティーが大流行しました。
学生はダンスパーティーを開催し、社会人は仕事が終わるとダンスホールに繰り出す、そんな時代があったのです。(おそらく今でいう、町コンみたいなノリだったのでしょう)

繁華街には、何件もの大きなダンスホールがあったそうで、日本の社交ダンス最盛期といっても過言ではなかったのでしょうか?

年配の方々でしたら、一度はマンボやブルース、ジルバを踊ったことがあるでしょう。
1930~40年ごろのお話です。お父さん、お母さんに聞いてみてください。
もしかしたら社交ダンスを知っていて、ちょっとは踊ったことがあるかもしれません。

実は、社交ダンスという名前は、正確ではなく正式には「Ballroom Dance」(ボールルームダンス)といわれます。
ソシアルダンスの一種ですが、ソーシャルダンスといわれるようになり、それが日本語にされて社交ダンスといわれるようになったようです。社交ダンスという名称が日本では一般的ですね。

またそこから、競技用に発展していったものが、「競技ダンス」「スポーツダンス」といわれるもので、一般的に現在踊られているのは、この競技ダンスの種目や踊り方がメインになっています。